活動内容
2016.02.26
残留放射線はいつまで残ったか?
残留放射能には、次の2つがあります。
① 誘導放射能:爆発で放射された中性子が地上の物質に衝突すると、その物質が放射能を持つようになる
② 放射性降下物(死の灰):搭載されていた放射性物質やその生成物が細かなチリとなって地上に落ちてくる。
原爆資料館本館の放射線コーナーの残留放射線の説明では「残留放射線は人体に強く影響を及ぼしました。その後、残留放射線は急速に減少し、一週間後には100万分の1になりました。」と説明されていますが、これは①の誘導放射能です。爆発時に爆弾から放射された初期放射線と同様、外部被爆の要因となりますが、説明にあるように短時間で減衰しました。後に行なった放射線測定の結果からさかのぼって、爆発直後の放射線量を推定したのでしょう。
②の放射性降下物は、上昇する空気によっていったん上空に吹き上げられ、その多くは気流に乗って大気中に拡散しました。しかし、一部は黒い雨に含まれたりして、地表に降下したのです。放射性降下物の放射線量は低いけれども、長く続きます(ウラン235の半減期は7億年)。しかも、微細なチリなので、体内に入りやすく、そうなると重大な放射線障害を引き起こす可能性があります。これが、最近論議を呼んでいる内部被爆(低線量被爆)ですが、放射線コーナーに記述はありません。
地表の放射性降下物も、やがて地中深く沈んでいったり、枕崎台風で洗い流されたといわれています。長崎も同様です。長崎では、広島に比べ、誘導放射線は少なかった反面、放射性降下物の放射線量は多かったようです。しかし、それも枕崎台風の大雨で流されたと思われます。
いずれにしても、広島・長崎の放射能残留期間は、他の放射能汚染地域に比べ、幸いなことに、異常に短かったのです。「残留放射能は短期間でなくなる」との誤解を与えないために、「残留放射能の観点から見れば、広島・長崎は特殊だった」ということをきちんと押さえなければならない。
「原爆資料館ガイド有志の情報交換紙」からの引用です。
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