創業は1767年のこと
当初は酒の卸し業や旅館業、飲食業を商いにしていました。江戸後期から明治初期の新潟は、北前船が頻繁に寄港していたため、人口が江戸より多かったといわれるほど大変繁栄していたそうで、今代司も繁盛していたようです。
酒造りに本格参入したのは明治中期に入ってから。地盤がよく、阿賀野川のきれいな伏流水が出て、さらに栗ノ木川(現国道49号栗ノ木バイパス)によって原料や製品の運搬に便利だった沼垂(ぬったり)の地に蔵を構えました。この“ぬったり”には他にも多くの酒蔵、味噌蔵、醤油蔵などが立ち並び、今でこそその数は減りましたが、発酵食の町として知られています。新潟は江戸・京都に並ぶ日本三大花街があった土地でもあり、“ぬったり”の蔵は一流料亭の職人たちに鍛えられ味を追求してきたのです。
新潟清酒の代名詞
昔、まだ酒を瓶詰めではなく、樽詰めで出荷していた頃のことです。町の酒屋さんは酒蔵から仕入れた樽詰めの酒に水を加え、薄めて量を増やしてから売ることが許されていました。ところが酒蔵も酒蔵で出荷する前に水を加えていました。金魚も泳げるほど水で薄まった酒であることを揶揄して「金魚酒」と当時は呼びました。
そのなかで、今代司酒造は水で薄めていなかったそうです。つまり酒屋さんがたくさん薄めて儲けられるお酒を出荷していたので、酒屋さんからは大変喜ばれたようです。それが酒屋さんたちのなかで評判を呼び、新潟にある大半のお店で扱っていただくようになったそうです。今でも60歳以上の方には、特に聞き覚えのある蔵で、新潟清酒を代表する存在でした。