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活動内容

2016.02.19

原爆供養塔

 

京都市伏見区桃山町にある明治天皇の桃山御陵を模した円形の土盛りで、この中に内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱が納められています。 伏見桃山陵には相輪がありません。供養塔にもありませんでしたが、1年後(1956年)に造られました。

納骨室は27平方メートル(約5m×5m)、高さ2メートルで、中央の祭壇を囲むように棚があります。納骨室の棚には、名前がわかりながら引き取り手が見つかっていない815人と、遺族の事情などで供養塔に永久安置している621人の遺骨を骨つぼ(直径9.5センチ、高さ9.5センチ)に納めて並べています。氏名不詳者の遺骨は大小117個の木箱に納められています。
原爆供養塔-2

広島市は、氏名が判明しながら引き取り手のない遺骨の名簿を毎年公開し、遺族を探していますが、今でも815柱(2014年現在)の遺骨は引き取り手がなく、この供養塔に眠っています。一家全滅、朝鮮人の創氏改名、氏名の間違いなどがその理由だと思われます。

戦後の復興に伴って身元不明の遺骨がさまざまな場所で発掘されています。2004年には瀬戸内海の、検疫所のあった似島では84人分の遺骨がみつかりました。この島では道路工事等のたびに何度も遺骨が発掘されました。

このように、発掘された遺骨の状況は下の写真のパネルで見ることができます。
(画像の右下をクリックすると字がはっきりと読めます)

 

 

原爆供養塔-4

これは供養塔の裏ですが、元々はこちらが表でした。入り口の上には写真のように「安置所」と書かれていましたが、安置所を公園に置くとはできません。
では、なぜ公園内の供養塔に多くの遺骨が眠っているのでしょうか。1955年、市は建設省に相談せず供養塔を改修、市内に散在していた引き取り手のない遺骨を集めてここに納めました。その結果、建設省に呼び出しを受けた佐々木建設局長は、「もともと区域内に供養塔があった場所を、建設省の前身、戦災復興院が公園用地として認めたのだ。今回の工事は、公園用地の設定以前からあった遺跡の保存、改修にあたる」と建設省役人を説得しました。
その際、比治山の上に遺骨を全部移して、安置所は撤去することが提案されましたが、遺族の希望もあり、存続が決まりました。公園である平和公園に墓はあってはいけないが、遺骨を今更移動させる事はできないので、「安置所」の字を削除したそうです。
原爆供養塔-5

原爆供養塔-6

明治天皇の桃山御陵
原爆供養塔-7

また、広島市は廃墟になってしまったので、木や薪がなく、1ヶ月後にやっと遺体を焼き終えました。

次の2つの句は正田氏篠枝さんの歌集「さんげ」からのものです。

筏(いかだ)木の如く死骸を竿に鈎(かぎ)をつけブスッとさしぬ

一日中死骸をあつめ火に焼きて処理せし男酒酒とうめく

備考:「塔」は卒塔婆・塔婆ともいう。仏陀の骨や髪または一般に聖遺物をまつるために土石を椀型に盛り、あるいは煉瓦をつんで作った建造物。
原爆供養塔-8

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